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2007年4月 7日 (土)

武士の情け

映画「男たちの大和」は、明日放送か・・・

本日4月7日は戦艦大和撃沈の日。「武士の情け」・・・

いい話なんですよ。歴史には表もあれば裏もあるのです。

○o。..。o○o。..。o○o。..。o○o。..。o○o。..。o○o。..。o○o。

1937(昭和12)年8月21日。海軍大臣・永野修身
から、呉鎮守府司令長官・加藤隆義中将に対して、
「1号艦」建設命令が出された。艦の長さ263メートル、
排水量6万9千トン、15万馬力。国家の威信をかけた
この巨大戦艦は、後に「大和」と名づけられ、同型の2号艦
「武蔵」(三菱長崎造船所建造)と共に、太平洋戦争に船出
してゆく事になる。
 とにかく巨大な戦艦だった。日清戦争時の主力艦「松島」
が4千トン、主砲32センチ。日露戦争時の旗艦「三笠」が
1万5千トン、主砲36センチ程である。大和は砲身21
メートルの46センチ3連装9門、15.5センチ副砲
12門を装備した、世界最大級の鋼鉄の要塞だった。
 1941(昭和16)年11月5日。「Z作戦」の実施が
御前会議で決定した。
空母「赤城・加賀・蒼龍・飛龍・瑞鶴・翔鶴」の6隻を
はじめとする連合艦隊30隻が、エトロフ島ヒトカップ湾に
集結し始めた。軍上層部は日米開戦を疑っていなかったが、
外交の舞台裏では戦争回避の方向で親善交渉が続けられ
ていた。
 このような状況下で、1号艦「大和」は、予備運転や
各種銃砲の発射テストを行い、連合艦隊の旗艦となる日に
備えていた。呉市民の間では、誰言うとなく「不沈艦」と
呼ばれていた。
 12月8日、日本はハワイ真珠湾の米太平洋艦隊を奇襲し、
戦艦8隻、航空機180機を爆撃。死傷者2500人
あまりの被害を与えた。また、12月10日のマレー沖
海戦では、イギリスの不沈艦「プリンス・オブ・ウェールズ」
を、海軍の一式陸攻と九六陸攻75機によって撃沈した。
いずれも航空機による機動部隊がもたらした戦果だった。
 香港・シンガポール・ジャワ・フィリピン・ニューギニア
など、各方面の勝利に日本国民は熱狂した。
だがその歓呼も、半年程で終息する。1942(昭和17)年
6月5日。ミッドウェー沖海戦において、日本連合艦隊は
空母4隻と艦載機285機が全滅し、多くのエースパイロット
を失った。旗艦・大和の主砲は沈黙したままだった。
 以後日本軍は、太平洋各島で米軍の猛攻の前に、次々と
玉砕(全滅)してゆく。1944(昭和19)年10月24日の
フィリピン沖海戦では、戦艦武蔵が、魚雷11本・直撃弾
10発・至近弾6発をうけて沈没し、連合艦隊もほぼ
壊滅した。
 翌1945(昭和20)年になると、1月に硫黄島、3月に
沖縄で、悲愴なまでの総力戦が展開され、日本軍は体当りに
よる人間爆弾、いわゆる「神風特攻機」や「人間魚雷・回天」
「有人ミサイル・桜花」などによる抵抗を行なった。
 3月20日、大和を旗艦とする第二艦隊に、「燃料は
片道分とする」という内容を含む作戦命令が発令された。
命令伝達者には、草鹿龍之介少将と共に、燃料担当参謀・
小林儀作大佐が同行していた。小林は呉鎮守府に赴き、機関
参謀の今井和夫中佐と面談した。今井は海軍機関学校で、
小林の二期後輩だった。
「今井君。今、帳簿外重油はどれ程あるか?」
と、小林が問うた。
 帳簿外重油。重油タンクの底に残っている、パイプでは
引き出せない油の事である。
「むろん最も重油タンクの多い呉鎮守府の事。帳簿外重油も
相当量持っております。」
今井は当惑しながら答えた。
「その油、大和に搭載しようではないか。確かに生還の
見通しは少ない。しかしながら、片道分の燃料で出撃させた
とあっては、武人の情けにあらず。燃料を満載して、
快く送り出してやろうではないか。」
 小林儀作大佐、一世一代の「裏技」だった。かくして
手押しポンプで集められた「帳簿外重油」が、大和・矢矧・
磯風・浜風・朝霜・霞・冬月・雪風・初霜などの艦艇に
搭載されていった。もしも上司から報告を求められた際
には、「片道分の重油搭載を発令したが、積み過ぎて
余分を吸い取ろうとしたが、出撃に間に合わないので
そのままにした」という答えを用意していた。
 かくして、公式には片道分の燃料しか積んでいない、
伊藤中将率いる第二艦隊は、4月5日「一億特攻の
さきがけ」として出撃していった。艦隊は
豊後水道から九州陸岸を南下した。4月7日午前8時
23分、北緯31度
22分、東経129度14分の、屋久島西方海上の
第二艦隊を、空母エセックスの艦載機が発見。米第58
機動部隊の空母ホーネット、ワスプ、ベニントン、
ヨークタウン、バンカーヒル、ハンコック、イントレピット
、軽空母ガボット、ラングレー、バターン、
インディペンデンスの戦闘機・爆撃機・雷撃機280機が、
3波に分かれて第二艦隊に殺到した。
 午前11時50分、第一波の艦載機が大和上空に出現。
大和は最大戦速27ノットで、右に左に激しく蛇行しながら、
主砲・副砲・高角砲・機銃を撃ちまくって応戦した。
砲煙が大和を襲い、轟音と水柱が激しくあがった。大和
は左舷前部に魚雷1発、後部電探室に直撃弾を食らったが、
数十発の魚雷をかわした。
 午後1時18分、第二波の100機来襲。左舷に
魚雷3本命中。1時44分、第三波126機来襲。
左舷中部に魚雷2本命中。2時12分、左舷中部に魚雷1本、
後部に魚雷1本、爆弾3発命中。そして午後2時17分、
左舷中部深くに魚雷1発命中。船体傾斜20度。
6分後に横転し、大爆発を起こして、不沈艦・大和は遂に
沈没し2704人が戦死した。
 軽巡・矢矧も魚雷7・爆弾2を受け沈没。駆逐艦
「浜風・磯風・朝霜・霞」も沈没した。しかし第二水雷
戦隊司令官の古村少将指揮のもと、中破した冬月・
雪風・涼風は、大和らの生存者を救出して佐世保基地に
生還した。小林の「往復燃料搭載」がもたらした成果で
あろう。無残なばかりの戦争だが、わずかな清風が
吹き抜けることもある。

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コメント

戦争ものにはあまり興味がないのですが、
そんな事があったのですか。
亀松さんの文章で、情景がくっきりと見えました。
あわれを感じました。

雫さん>自分の中にある「帳簿外重油」を大事に
したいものです。

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