無料ブログはココログ

« 光の手 | トップページ | 思い込み »

2006年12月 4日 (月)

瞑想

さぶい!! 昨日は雪が舞っていたし、0度だった!! もう

すっかり「冬眠」の季節だ。おかげさまで熟睡している

ZZZZZ・・・・・こんな時、たまたま届いたメルマガに、自分が

書きたい内容が載っていると「ありがたい」・・・手抜きの

コピペじゃないっすよ・・・シンクロニシティちゅうもんだす!!

○o。..。o○o。..。o○o。..。o○o。..。o○o。..。o○o。..。o○o。

▼ 「今ここ」に帰る

 
  瞑想すると、われわれは「今ここ」に帰ってきます。

  ところが、われわれは「今ここで」のことについては
  考えることはできません。

  考えは「今ここで」のものではないのです。

  だから、「今ここ」に帰ってくると、思考の影響を受けなくなる。

  「今ここ」にあるものは「感覚」。

  五感に写るものそのまま。

  瞑想は、過去や未来の思考や
  感情ばかりに向かっていた注意を、
  「今ここで」の感覚に連れ戻す操作のことです。

  思考の影響を受けなくなると、
  思考にともなう感情である「不安」と「ゆううつ」は
  消えてしまう。

  「今ここ」に帰ってくると、
  それまで問題だと思っていたことの多くが、
  実は問題ではないことがわかる。

  心配しなくても、死ぬときは死ぬということです。

  思考は役にたたないのです。

▼ 思考や感情は外側にある

  われわれは、思考や感情イコール自分だと
  思っていることが多いのですが、それは違う。

  思考や感情は、ほんとうは意識の対象であって、
  外の世界と同じように、われわれの外側にあるもです。

  だから、意識が「今ここで」に目覚めていると、
  思考や感情に巻き込まれないで、
  それからちょっと離れて見てみることが
  できるようになる。

  そうして「今ここで」のできごとを見つめると、
  出口がみつかり、智慧がはたらく。

▼ 瞑想とは

  瞑想とは、「目覚めていること」です。

  自分の内側と外側におこっていることについて、
  巻き込まれないで、すこし離れて、
  はっきりと目覚めていること。

  先入観を持たないでありのままに見ること。

  「気づいていること」「見とどけること」が
  瞑想の本質的な定義です。

  瞑想して生きるのが本当の生きかたで、
  瞑想しないで生きると、必ず間違うのです。

  間違いであれ犯罪であれ神経症であれ、
  この世界のすべての不条理は
  われわれが瞑想的に生活していないから存在する。

  逆に言うと、われわれが瞑想的でさえあれば、
  われわれが抱えている諸問題はかならず解決する。

▼ 瞑想的に生きる

  非瞑想的な状態では、
  眠ってはいないけど、目覚めてもいない。

  普通の人間は、一日の大部分を
  こんな状態で暮らしている。

  そんなだから間違いばかりするのです。

  ちゃんと生きるためには、
  そこから脱却しなければならない。

  自分の内側や自分の周囲でおこっていることに、
  いつでもちゃんと目覚めて
  気がついていないといけない。

  つまり、瞑想的に生きはじめなければならない。

  そうしてはじめて、正しく状況を把握することができる。

▼ 目標追求をストップさせる

  仏教では、すべての苦の原因は欲と言いますが、
  これは、欲求ではなくて、目標のことではないでしょうか。

  無欲とか執着を捨てるとかいうのは、
  実は欲望を抑圧することではなくて、
  目標を捨てることだということになります。

  瞑想すると目標追及が一時的にせよストップします。

  目標がなくなると、劣等感がなくなる。

  劣等感とは、理想と現実のギャップのことです。

  劣等感とは、理想の自分と較べて現実の自分が
  劣っているという感じのことです。

  目標追求をストップさせると苦はなくなる。

  人生目標とは、すなわち理想の自分のことです。

  だから、人生目標がなければ劣等感はないことになる。

  理想がなくなり劣等感がなくなると、
  自己受容がおこる。

  理想がなければ引き算もなくて、
  ありのままの自分が満点になる。

▼ 瞑想で世界が変わる

  瞑想すると、他人や世界全体に対する態度も
  根本的に変わってくる。

  瞑想して目標追求がなくなると、
  自分中心でなくなり、優しくなれる。

  瞑想すると、過去と未来とがなくなり、
  人生の流れが止まる。

  「今ここで」おこっていることを、
  そのままに見ることができるようになる。

  そうすると、世界が美しいことに気づく。

  そうして世界が好きになる。

  「大好きな私」とも言えるようになるし、
  「大好きな世界」と言えるようにもなる。

▼ カルマからの解放

  カルマから解放されることは、
  瞑想的であることの究極の意義です。

  本当の自由を手に入れること。

  子ども時代以来蓄積してきた
  われわれの不合理な条件づけから脱却すること。

  人類の心理学的な遺伝から自由になること。

  われわれの文化や野蛮さは、育児や教育を通じて、
  われわれの心の中に根強く植えつけられて、
  条件づけができてしまっている。

  だから、機械的に条件づけで行動するのではなく、
  一つひとつの状況について自由意志で
  行動を選びはじめなければならない。

  われわれが文化から受け継いだものを、
  ひとつひとつ検証しなければならない。
 
  それは瞑想があってはじめて可能になるのです。

―――――――――――――――――――――――――――――――――
■ 著者紹介 ■
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 野田俊作(のだ しゅんさく)
 昭和23年3月10日生。魚座。A型。骨の髄からの大阪人。大阪大学医学部卒。
 精神科医。シカゴ・アルフレッド・アドラー研究所にてアドラー心理学を
 学ぶ。アドラー心理学トレーニング・アナリスト。日本アドラー心理学会
 会長。国際アドラー心理学会評議員。好きなものは酒・歌・女、嫌いなも
 のはゴキブリ。

二十一世紀に生きる君たちへ Book 二十一世紀に生きる君たちへ

著者:司馬 遼太郎
販売元:世界文化社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

« 光の手 | トップページ | 思い込み »

コメント

書道で言えば、1つの作品を書くのに、
今出来うる最善の努力をして、
墨を選び、紙を選び、筆を選び、構成を考え、
そして書きながら、これではない!と悪戦苦闘。
それをやりつくした後に、フッと出来る時があって、
その時は、もう、ここをああしよう、なんて気持ちも、
何にも無くなって「夢中」の出来事の様なのです。
ただそれは、初めから行き当たりばったりにかいていては、
たどり着けない「時」なのです。
悪戦苦闘があって、その後なのです。
だから私は書く苦しみを無くしたいとは思わないのです。
大きな苦しみは大きな喜びに変換されるのです。
亀松さんの仰っていらっしゃる事と、ずれているかしら。。

雫さん>確かにどんなジャンルであれ、創作
活動は辛い局面の連続です。でも、この文章
からは、ちょい、ズレているような気がしない
でもありません・・・

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/41137/4423769

この記事へのトラックバック一覧です: 瞑想:

» 初心者でも出来る。コピペでガン売れ! [パックンアフェリエイト]
情報商材をアフェリエイトしているけどまったく売れていないあなた、それは基本的な選択を誤っています。◆ラクラク月収100万円◆などの言葉に踊らされていませんか?まずは3ヶ月後に10万円を目指しましょう。 [続きを読む]

» インドでヨガ:生活に変化:惰性を断ち切る [ヨガ@お役立ち情報館]
東京で出版社を経営しておられるA さん(55才)は、6月下旬から7月上旬にインドにヨガの修業に行かれました。 これまでの生活の流れの惰性を、時々、インドなど混沌としたアンバランスな所を旅行したり断食道場で三週間断食することなどで断ち切るのは、自分を別の面から冷静...... [続きを読む]

» 瞑想 [癒しのサイトはこちらから!]
癒しの効果を私のサイトで一時でも見つけて頂けると うれしいです。 [続きを読む]

« 光の手 | トップページ | 思い込み »