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2006年8月14日 (月)

樫村機

新聞に「私は樫村機を見た」という投書が載っていた。

「ほう、そりゃすごい」と、樫村機と聞いただけですぐ反応

する私は、一体何歳なんだ!! と一人突っ込みして苦笑する。

 投書の主は70歳。昭和19年に、原宿・東郷神社隣の

「海軍館」に、樫村機が展示されていたという。で、樫村機

とは何なのか・・・

 1937(昭和12)年12月5日、日中戦争緒戦。海軍

航空隊は、台湾の大村基地から南昌の航空基地爆撃

に出撃した。使用爆撃機は「三菱九六式中型陸上攻撃機」

通称「九六陸攻」。樫村寛一3等航空兵曹長は、敵機との

壮絶な空中戦の末、左翼3分の2をもぎ取られながらも、

巧みな操縦で大村基地への帰還を果たした。当時の米内

海軍大臣は「片翼を失いたるまま困難な飛行を続け、無事

基地に生還したる行為は、軍人精神の発露として激賞に

値するものなり」と称賛した。

 そうなのだ。日本帝国陸海軍の名誉の為に言っておくが、

当時は「プロペラを手で回してでも、生きて帰る」ことが軍人

精神だったのである。だからこそ、海軍も国民も「樫村兵曹長」

を英雄として称えたのである。

 だがミッドウェイ海戦でエースパイロットの多くを失って以降、

劣勢になると、そんな事は言っていられなくなる。昭和19年10月、

フィリピン・マニラの第201海軍航空隊。大西中将は零戦に250キロ

爆弾を抱かせて、敵艦に体当たりする作戦を提案する。むろん大西

も「特攻は統率の外道である」事は十分承知していた。だがそれ以外

の選択肢がないほど、現場の航空機と熟練パイロットが欠乏していた。

「お国の為に見事散る事」が、軍人精神となった。

 要するに、命に関わる思想でさえ、状況によって変化する・・・という

のが、学校では教えない歴史の教訓なのだ。死して神になる・・・と

いう特攻の思想は、現在の中東地域に見られる。9・11の同時多発

テロも、民間人多数を巻き込んだという点で、日本の神風と比べる

のはいかがなものかと思うが、あれも立派な「特攻機」である。

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コメント

大変興味深い記事でした。

そもそもそのような事実があったこと自体を知りませんでした。


樫村寛一3等航空兵曹長
確かに英雄ですね

出来ればその後も英雄の基準が変わらなければ良かったのにと思わずにはいられません。

私も海軍館で樫村機を見ました。
攻撃機じゃありません三菱九六式まではあって
ますが九六式艦上戦闘機です。
南昌上空の空中戦で敵を何機か落しましたが機銃の弾が無くなった。そこで翼で体当りしてもう一機撃墜したので左の翼がちぎれて仕舞ったのに巧みに操縦して、上海基地まで生還して、当時の英雄としてたたえられたものです。
その後の彼は酒癖が悪く部内での評判は悪く、対米戦争で戦死したと云うことです。

聞くところによると樫村さんはお酒はあまり飲めなかったそうです、ただ厳しい訓練をする、鉄拳制裁はする、で若い人とのコミュニケーションはうまくいかなかったようです、最後は襲撃してきた多数(18機のF4F)の戦闘機に単独で戦いを挑み奮戦するもついに高度が下がりいかんともしがたい状況で一機撃墜後自爆されてしまったそうです、その間列機の2機の戦闘機がどんな行動をしていたかはわかりませんが、厳しい性格のため孤独であったような気がしました。残された奥様や娘さんは米軍の松山爆撃で被災されたそうですが戦争は生き抜けたそうです。

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